ゆりかごから墓場まで〜一生オタク〜

節操のない雑食オタクの雑記です。時々コスメやお洋服の話もします。

初めて韓国文学作品に手を出してみた話。

お久しぶりです。オタクです。

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2021年になってから初めてきちんと書くブログは、どんな内容にしようか、、、最近カムバックしたMCND、まだまだ続く授賞式やスキズのコンテンツなど音楽の話、あるいはファッションやコスメの話か、、、

自分でもそう思っていた私が、まさか本の感想を書くことになるとは思いませんでした。

 

昨年から本屋さんでよく「今話題の本」の欄で見かけていたこちらの本。読書後に、BTSのRMさんがこの本を持っていることが話題になっていることを知りました。私のブログを読んでくれている方の中でも興味を持っている方がいるかな。と思ったのと、単純に自分で記録したいと思ったので、「死にたいけどトッポッキは食べたい」について今回は個人的な感想を書いていきたいと思います。(ネタバレガッツリ含みますのでご承知おきください)

 

はじめに 私と読書、なぜ本を読もうと思ったのか

私の小学生の頃の思い出というと、母が働いている週末、無口な父と二人で毎週末図書館に入り浸り、父が地下の階で新聞を読んでいる間、一人で別フロアのこどもコーナーで絵画に関係する本を読んでいたのが思い出されます。

高校生の時は現代文の授業中に、こっそり電子辞書で太宰治の小説を読みまくる毎日(ちゃんと勉強しろ)でしたし、そのぐらい私にとって生活そのものの中に本が存在していました。しかし、大学に入ってからめっきり趣味では本を読まなくなってしまい、、、(勉強してる内容関係の本はよく買っていて好きだったけどエッセイとか小説とかのジャンルを読まなくなってしまった)

だけど2021年になって、iphoneのスクリーンタイムを管理し始めてから、スマホを見るのを止め始めると急に「読書したい」というエネルギーがふつふつと湧き出て来るようになりました。長らく活字から離れていたのでまずは軽く読めそうなエッセイから、と思い本屋さんに足を運びました。

 

なぜこの本を選んだのか

実は本屋さんに向かうときには、この本を買うことはほぼ100%決めていました。なかったら本を買わなくていいかな。ぐらいの。その理由は至って単純明快で、昨年から本屋さんに行くたびにこの本がどこの本屋さんでも推されているのを感じたからです。

可愛らしいイラストにラベンダーの表紙。手書き風の文字で「死にたいけど、トッポッキは食べたい」

と書かれていました。作者は韓国人の女性でした。韓国の人が書いたエッセイを読むのはこれが初めてだったし、ベストセラーになったと書かれていてとても気になりました。

そして、概要欄には気分変調症(軽度の鬱症状の一つ)などと向き合っている患者と医者の対話形式による本と書かれていてますます気になりました。死にたいけどトッポッキは食べたい。お恥ずかしい話ですがこれって、私なんじゃないかとそのとき思ったんですよね。しょっちゅう訳もわからず憂鬱な気分になるし、どうしてこんな気持ちになるのかは自分では理解できないけど、せめてどうやって付き合っていくか、そう言ったことへのヒントが書いてあるのではないか。そういう密かな期待を持って本を買いました。

 

本の感想

結論から言うと、この本は「私が思っていた本とは、あらゆる意味で全く違う本」でした。一言で言うなら、重いし、スッキリする訳ではないし、人に簡単に勧められる本じゃないと思いました。でも、同時に、読んだことを激しく後悔する訳でもない。とも思いました。以下にその理由を列挙していきます。

1.主人公と自分を重ね合わせることの難しさ

私がこの本を購入した最大の動機は、先に述べたように、著者(患者)と自分に共通点が多くあり、共感して慰めになることを期待していたからです。しかし、この主人公は思っていたよりも深刻な症状と戦っていました。

かなりネガティブな思考が強くて、堂々巡りのことを考えすぎてしまうタイプ。すぐに極端な思考に走ってしまい、パニックになるタイプ。孤独感に苛まれているタイプ。短気で感情が自分でも手につけられなくなる。

別にdisとかではなく、それがこの本の主人公の女性を端的に表した形かなと思います。私にもこう言った部分はもちろん沢山ありますが、とてもそれが強調されている人格を持った人なので、共感というより「なんだかこの人は凄いなぁ、、そこまで思い詰めなくても、、」と思うことは私には多く感じられました。

しかしもしあなたがそういう性格でなかったとしても、この人にはこういう所があるなぁ、自分も気をつけよう。とある種反面教師のように考えることができて、そういう意味では有益だったかなと思います。しかし前述のように、わかるわかる!!と深い頷きを連呼するような瞬間は自分にはほとんどなかったのが正直な所です。もちろん、自分にさっき書いたような特徴が当てはまると思う人には、慰められたとレビューしてる人も多々いるので、この本に対しての意見が割れている理由がなんとなく分かった気がしました。

 

2.病気から立ち直るサクセスストーリーではない

そしてこの点がおそらく読者で不満を持っている人のほとんどが感じた点だと思うのですが、結末は全くハッピーエンドではありません。

よく、日本人?が好きで売れるような話として、病気と闘って、辛い時もあったけど、最終的には道を見つけて回復に向かっていく。そういう感動的な自己啓発本、元気を貰える本を探しているとしたら、まず間違いなくこの本はお勧めできません

著者は、学歴コンプレックス、家族との関係、友人関係、恋愛依存、いろんな物に苦しみ、気分変調症と不安障害から精神科のカウンセリングを開始します。この本では先生との対話がずっと書かれているのですが、徐々に改善される向きもあれば、また落ち込んでいく所も多々みられます。そして最終的には、処方されている薬の副作用に苦しみ、楽しく勤めていたはずの出版社を辞めてしまいます。本はここで終わります。

何かを期待して本を開いた人からしたら口をあんぐり開けてしまうような終わり方ではないかなと思いました。事実私も、「ええ!?!?」となってしまいました。(この後2が出たようなのでそちらはそんなことないかもしれませんが)主人公の病気は全く治っていないし、それどころか会社まで辞めているじゃないか。あまりにも救いようがない。読んですぐはそう思いました。

この本の読後感って、韓国映画を見終わったときにとてもよく似ているなぁ。と思ったのを覚えています。残酷で、切迫していて、でもとても真実味がある。人が見たくない部分を全て隠さずに丸裸にしている。(もちろんノンフィクションなのだから当たり前かもしれないけど)だから、そういう真実の部分、一般的な精神病との闘いを描いた作品では切り取られてしまうリアルを知りたい人。そういう人にはお勧めしたいと思いました。

 

3. この本の良いところ 精神的な病の難しさ

ここまで批判だらけという感じになってしまったので、今言った部分を逆手にとったらこの本はとても勉強になる本だと私が感じた点を述べたいと思います。

まず、先ほど書いたように「精神的な病との向き合い方」について考えさせられました。簡単な怪我や外科的な不調と比べると、心の不調は、良くなったり悪くなったりを繰り返していきます。看護師の人から聞いた話ですが、精神的な病を治すために医者は薬を処方しますが、誰がどのように作用し、どの薬が一番効果的か、ということは、本当に同じ病気の患者さんであっても使うまで分からないそうです。

この本の後半で、薬の副作用により多動性が出てしまい、仕事が手につかなくなってしまった患者さんが、主治医を詰るシーンがあります。「あなたが薬を出しているんだから、自分で配分してくださいよ!」と彼女は語気荒く詰め寄ります。

私も最初読んだ時はまぁ確かにそれはそうだよな、抑うつを治そうとして逆に多動になって結果的に仕事辞めるなんて酷い話だ。そう思いました。しかし、結果から言うと精神科医にとっても適切な薬選び、薬のバランスや量は、ある意味博打のような物で、むしろ完璧に合うことの方が稀なのだそうです。

悲しい現実ですが、プロであったとしてもそのぐらい精神的な病気と付き合っていくことは非常に難しい作業なのだと思い知らされました。

 

4.一番タメになったポイント 思考のくせに気づく

最後に、この本を通じて一番タメになったと感じたメッセージを紹介します。それは「自分の無意識の中にある、考え方のパターンを炙り出し、それを認知し、行動して改善する」プロセスです。

いやいや、心理学をちょっと齧った人からしたらこんなの基本のきだし当たり前!と思うかもしれません。しかしそれを実際に患者さんとお医者さんの対話によって具体的に段階が踏まれる様子を見ることはなかなか出来ないと思います。

この本の作者の殆どの発言や考えに私は共感しませんでしたが、ひとつだけとても心を揺さぶられ、感銘を受けた章がありました。それは醜形恐怖症についての部分です。

簡単に言うと、主人公は友達と一緒にいる時、男性が自分の友達にだけとても優しくしているように感じることが何度もあったと言います。そしてそれは、彼女が美人で、「自分はブサイクだ」と言われているような気になって、そのたびにとても落ち込むと言います。まるで舞台を無理やり降ろされたみたいに。

それに対して、お医者さんの返答はとてもシンプルなものでした。「その男性の行動と、あなたがブサイクだという結論に何の関連性があるのでしょうか?その男性は何かあなたに言いましたか?」「いいえ」「全てあなたが勝手に作り上げた結論ですよね?

この箇所を読んだ時に、とてもハッとしました。私もそう考えていることが過去に沢山あったからです。そしてお医者さんは続けて言います。「そもそもなぜ、あなたは美人やブサイクでなければいけないのですか?なぜ、普通よりそこそこいい、ぐらいに思わないのですか?完璧である必要があるのでしょうか?自分が満足していればいいのではないでしょうか?」

そこでもう一度ハッとしました。よく、私も含めて女の子たちは憧れの芸能人、女優やモデルさんを挙げては、「それに比べて私はこんなに太っている。私はこんなにブサイクだ。」そう言うことがあると思うのです。でも、どうしてそもそも比べているのでしょうか?その人たちが美人であることが、イコール私たちが太っていて、醜い外見ということの証明になり得るのでしょうか?そしてそもそも、私たちはその人たち並みに美しくいなければいけない理由が何かあるのでしょうか?芸能人でもないのに。

先生は、別に芸能人などに憧れを持つことを否定はしていませんでした。それを目標にして、自分をより魅力的に見せようとする人もいれば、自虐的になる人もいる。そう述べていました。そして、このエピソードに限らず、この主人公の女性に対して先生は繰り返し指摘し続けます。

「あなたには0か100か、白か黒かという極端な結論をどちらかに選ばなくてはいけないという強迫性があります。それをまずやめましょう」

これが私にとって一番目から鱗の情報でした。これが治療のポイントであり、彼女に隠された目に見えない思考の癖だったのです。そして別の日、彼女はようやく久しぶりにできた友人と口喧嘩してしまい、トーク履歴を全削除というここでも極端な行動に出てしまいます。

ここでも先生に、「あなたは今、縁を切るしかない」そう言いましたね。また0か100かになっていますよ。そう指摘され、後日彼女はその友人に自分が思っていた意図と、言いすぎたことを友人に謝罪します。そして結果的に仲直りすることができました。

またある時には、知り合いの人が初対面はとても優しかったのに、次に会ったときは自分のことを舐めている感じがした。きっと嫌われた。と主人公は落ち込みます。そこでも医者は一言。「その人の態度が悪かったことと、あなたが嫌われていることに何の関連性がありますか?こうは考えないのですか?その人はその日たまたま体調が悪かったと。全ての原因が自分と関係していると思い込んでいませんか?

こうやって、人の認知プロセスは進んでいくのだなぁ。と感心させられました。完璧であるべきという、強迫観念に縛られてそれ以外だと落ち込む。それが憂鬱な気持ちを引き出していることを、医者は淡々と解き明かしていきます。そして彼女は、自分が行動してしまう前に、極端なことをしようとしていることに、徐々に気づいていくのです。

 

終わりに

この本を通じて主人公は一言も、「死にたい」とも「トッポッキを食べたい」とも言っていません。いわゆる病からの再生の本でもないですし、軽いネガティヴなんてものじゃ片付けられない症状が彼女にはあります。万人に受ける本とは決して言えないと思います。

しかし、自己肯定感の低さに悩んでいる人にとってはこの本は助けになったという声も多く見られますし、表紙と中身の重さのギャップがメガトン級だけど、重いものにもたまには触れてみたい、そんな人にはいいスパイスになる本だと思います。

私個人にとっては、見えないネガティブなスパイラルに入ってしまう前に、あれわたし、今って特殊な考え方しちゃってないかな?そんなふうに立ち止まるスイッチをもらった気がします。別にわたしはテレビに出てる人でもないし、アイドルしてるわけでもないんだから、その人たちと比べて落ち込む必要もなければ、自分、それなりに今まで頑張ってきたし最近いいじゃん?そのぐらいの気の持ちようで生きていこうと思わせてくれました。人がどう考えているかは分からないのだから、自分のものさしが満足するように、2021年は自分を解放していい意味で自分に甘く生きていきたいと思います。おわり。